地頭の良い子は、「読み、書き、ソロバン。」を小さいころからの学習習慣としているので、授業中の先生の話だけで学習内容を理解してしまいます。
別の言い方をすると、「一を聞いて十を知る」ことのできる子です。
この能力は、どのように育まれるのでしょうか。
「読み、書き、ソロバン。」がキチンとできるこどもには、『行間を読む』力があります。日頃から、学習に注意深く接することができているため、与えられた情報から最大限の学習効果を上げようとします。だから、同じ時間で、より多くのことを学習できるのです。
では、読書や百ます計算を習慣にすれば良いのでしょうか。
実は、AI(人工知能)の研究をしている新井紀子先生がおっしゃる通り、「単なる読書習慣だけでは日本語の発達には効果がない。」ということが最近の研究で分かっています。先生がおっしゃるには、「日本語の係り受けの関係が分からない生徒は文章を正しく把握することができない。」ということですが、まさに、その通りだと思います。
ひとつには、家庭内での親子の会話に問題があります。
「宿題やったの?」、「明日の用意した?」と聞けば、「YES」か「NO」で話は終わりますが、こんな会話が大半を占めている家庭がなんと多いことか。
これは会話ではなく、確認です。こんなことでは文章が組み立てられるわけもなく。「係り受け」のある文章読解能力は身に付きません。
私が親御さんと接していて感じることは、日常生活がほとんどこのような「確認」で済んでいるということです。会話が成立していません。
もう一つの問題は、文章からイメージが想像できない生徒があまりにも多いということです。または、そのイメージの持つ意味が分からないということも重大な問題です。
そのような生徒は、当然、文章が書かれた背景について思いを巡らすこともできないのです。
行間を読むということは、文章を書いた人の意図やその背景を汲み取るということであり、そこのは深い洞察力やイメージ力が必要とされます。
この能力は他の科目にも応用できます。
数学の文章題の問題では、「イメージ図」を書けるかどうかが重要になります。この「イメージ図」が書けない生徒は、日本語能力が不足しています。また、「イメージ図」から数式が導けない生徒は、数学の訓練が不足しています。さらに、出題者の意図を正確に理解していなければ、式の組み立てや計算は合っていても最後の回答までたどり着けません。
では、そのような能力を身に着けるためにはどのようなことが必要なのでしょうか。
それは、「人の気持ちを思いやる心」と「人間や自然界に関する深い関心」です。決して訓練ではないのです。基本的には、3歳までの親の接し方で決まるのです。また、小学生までに愛情深く見守られた子は情緒豊かに育ち、いつも叱られているばかりの子は人の気持ちまで思いやる余裕がありません。このことが、中学生になってから大きな差となって現れます。
つまり、こどもの頃の親の接し方で子どもの能力に大きな差が出るのです。こどもの能力は、親の学力ではなく、親の接し方次第と言うことです。
中学生では手遅れでしょうか?
何事にも、「何故なんだろう」「どうしてかな」という気持ちをもって文章を注意深く読むことから始めてみることです。すぐにとは言いませんが、効果は大です。